『「考える力」をつける本』という本が面白かったのでご紹介。きょうは書評です。
著者の轡田隆史さんは、早稲田大学政治経済学部卒業後、朝日新聞社に40年近く勤務していたジャーナリストです。(社会部次長、編集委員、論説委員、編集局顧問などを経て、1999年に退職)。
1996年までの8年間は、夕刊一面コラム「素粒子」を執筆していたそうです。
わたしに、「考える力」について何かを語る資格が、もしあるとするならば、たぶん、このコラム書きという経験で、いくばくかのことを悟ったあたりではないだろうか。p1
「考える」とは何か?
人生のはじめからおわりまで、基本的にひとは成長します。
肉体的にも精神的にも、それ以外にもあらゆる意味で。
ではいったい、成長の根っ子にあるものは何か?
行動力?習慣力?異性を口説く力?決断力?直感力?
いろいろとありそうだけど、結局のところ「考える」ということに、帰着するのではないでしょうか。
つまり、「考える」とはひとが「成長」していくために必要不可欠な燃料だとおもうわけです。
目次
いい考えは「問いかけ」からはじまる
轡田隆史さんは「考える力」についてこういいます。
自分自身に対する「問いかけ」がなければ、考えたり、書いたり、しゃべったりするための資料はどこからも出てきはしない。「問い」があってこそ、あらゆるものの意味が現れてくる。「問い」がなければ、「意味」もまたない。p87
考えることの出発点は「問いかけ」です。そして行動は「問い」からはじまります。
「なぜ?」という問いかけと、それに対する自分の答えの総和が、いまの自分という存在をつくり上げた、といえるのかもしれません。
「なぜ?」と問いかけつづけることによって、枝葉末節は整理されて、その底から、「考え」の本質とも言うべきものが、ゆっくりと姿をみせてくる。p188
たとえば、途中で文章がかけなくなったとします。そのときの選択肢はおおむねふたつ。「あ〜どうしよう」または「なぜ?」。
「悩むとは止まること」、「問いかけとは進むこと」悩んでいても仕方がありません。前へ前へと進んでいくためには、「問いかけ」続けていくしか方法はないのです。
「考える」ためのコツ
ともすればわたしたちは、「大きいこと」をかんがえようとすると、「大きく」考えてみようと構えてしまう。ところが、現実には、「世界」という現実と言葉はあっても、「世界」というものはない。(中略)
だから世界について考えるためには、まず身のまわりにあるものの中から、「世界」を発見してかからなければならない。p144
名探偵シャーロック・ホームズは数々の怪事件・難事件をすこぶる鮮やかに解決していきます。彼の武器は「細かな洞察力」と「情報をつなぎ合わせる推理力」それと「豊かな想像力」です。(あっ、それとステッキも!)
ホームズの推理はいつも細かな洞察からはじまります。その観察眼はどんなに些細な情報も逃しません。それらの情報を手がかりに闇に隠れた事件の本質を、光の当たる場所へとすこしずつ引きずり出していくのです。
万有引力は「落ちるリンゴの実」から着想されました。アルキメデスは「湯船からあるれる水」をみて、浮力の法則を見出したのです。
「考える」ためのコツとは、身近に存在するモノの背後から、隠れている答えと共通点を引っぱりだすことなのです。
オリジナルな考え方の秘訣とは?
オリジナルとは1%のひらめきと99%の伝統を学ぶ努力である
科学であろうと芸術であろうと、前のものを否定したり肯定したりする中から「オリジナル」が出てくるのである。p234
16世紀ごろまで、宇宙の中心は地球である信じられていました。地球のまわりをほかの星たちがグルグルと周っていると考えられていたのです。天動説です。
ガリレオはこれに異を唱えました。
動いているのは地球のほうだという「地動説」の証拠をいくつも発見し、彼は2度も異端審問会にかけられます。異端者として扱われたのです。
2度目の異端審問会で終身刑を言い渡された直後、ガリレイは「それでも地球は回っている」と呟きます。
実際、審問会で判決が下されるときも地球は動いていたし、いまでも地球は回りつづけています。彼の考えは正しかったのです。
着想は3つめからが面白い
ある題を与えられた人々がまず思い浮かべるのは、ほとんど似かよったことばかりなのである。最初の着想はみんな同じ。あなたが思いついたようなことを、隣の人も思いついているのである。p236
凡庸さは恥です。(自戒の念を込めて)
はじめの着想で「凡庸の壁」が姿をあらわします。2つめの考えで、壁の高さを知るのです。
3つめの発想から面白くなってきます。1つめと2つめの着想が土台になるからです。
それでも凡庸の壁を越えられないのならば、また同じように3つめの着想を土台にします。つぎのアイディアを探しに行くのです。
凡庸の壁は必ず超えられます。
対極の立場で考える
だれにも「立場」というものがある。その立場から、どれほど離れることができるか。その距離が、独創的なものを生み出す源泉となる。(中略)立場に囚われていたのではオリジナルな考え方はできない。p221
自分の立場から離れようなんて考えると少しややこしいですよね。だから一気に「対極の立場」を考えます。その方がずっとカンタンです。
つまり経営者であるならお客様(エンドユーザー)の立場で、親ならば子供の目線で、書き手は読者の視点で、物事を考える、ということです。
「なぜ?」か。
ある商品やサービスが「良いもの」であるのかそれとも「悪いもの」であるのかを決めるのは、それをつくる会社ではありません。もちろん、経営者でもありません。
決めるのはその対極の立場にある「お客様」です。
目先の利益に囚われずに、もっとも遠いところにある対極の立場と目線から、価値の良し悪しをじっくりと眺めるのです。
お客様の立場で感じる価値が大きければおおきいほど、それは利益となって返ってくるのです。
さいごに
人生は不思議だらけです。一歩まえに進めば、前後左右に「なぜ?」が隠れています。
ひとは生きるために成長するのならば、、ひとの本質は「考える」ことなのである、といっても言い過ぎではないでしょう。
「考える」ということを、いちど真剣に考えてみるのも悪くないものです。
ほいじゃーねー!!
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