ビジネスシーン、プライベートを問わず、様々な場面で文章力が求められます。
どうせ文章を書くのなら、多くの人に読んでもらいたいですよね。
文章で読者を唸らせる「コツ」はあるのでしょうか?
きょうは『誰も教えてくれない人を動かす文章術』から「面白い文章」をつくるテクニックをご紹介。
誰も教えてくれない人を動かす文章術 (講談社現代新書) |
わたしは文章を書くのが苦手です。すらすらと筆が踊るように書くことができれば、どんなに楽でしょうか。
さらに欲をいえば、どうせ書くのなら「面白い文章」を書きたいものです。
本書にはこう記してあります。
文章は何のために書くのか?
その答えは様々にあるかと思いますが、本書で設定している答えは、これです。
文章は、人を動かすために書く!
言葉には人の心に働きかけ、動かす力があります。
なにやら「面白い文章」のヒントが隠れていそうです。
凡庸は恥と知る
文章においては、凡庸さは恥です。結果としての凡庸さはある程度しかたがないとしても、せめて「凡庸さは恥だ」ということを肝に銘じておきたい。
実はそのことを知ってもらうことこそ私が本書を書くにあたっての、隠されたテーマなのです。
誰にでも当たり障りのない文章には訴求力がありません。紋切り型の文章では書き手の本心が見えてこないからです。
そういう文章には読者もこころを開くことはないでしょう。読者の目は思っている以上にするどいのです。
では、どうすれば凡庸から抜けだせるのでしょうか。
・・・本質をしっかり押さえます。それも、今まで誰も注目していなかった部分に光を当て、別の着眼点から本質を抑えようという試みをするのです。
例えるなら、像のお腹の下に潜り込んで、象のへそ観察する。そこから象という動物の生態を考え直す。そういう考察を文章の中でやっていこうという態度なのです。
ありきたりの視点からは、凡庸な考えしか生まれません。凡庸な考えは、月並みの文章を書かせます。
視点を変えることで、物事の裏側が(ぼんやりと)見えてきます。たとえそれが本質でなくても、普段みなれないアングルから書かれた文章には魅力があるのです。
だれもがすり抜けていくような抵抗のない文章よりも、「この人、バカなこと書いちゃってるなあ」と思われるぐらいの文章の方が、よっぽど価値があるのです。
まず第一に文章のゴールを決める
メモやアイディアの整理がおわり、書きたいテーマがぼんやりとイメージできるようになったなら、いよいよ執筆です。
さて、はじめにやるべきことは何でしょうか?
タイトル決め?見出し決め?構成?・・・
本書にはこうあります。
まず、1番重要な段取りをしましょう。「最後の文章を決める」ことです。
1行も書いていないうちに結論となる文章決定してしまうのは奇異に思えるかもしれませんが、これが固まってると安心して書き出すことができるのです。
タイトル決めよりも、文章構成よりも、何よりも、まず第一に「最後の文章を決める」。これには目から鱗でした。
到着地までのレールを一本並べる。そうすれば目標がはっきりと見えてきます。「枠」をつくることで、考えがブレることなく、一貫するのです。
あえて自分から「枠」にハマり込むのです。月並みですが、不自由さの中に自由はあるということです。
天才画家ピカソも、キャンパスという「枠」の中に、色とカタチを表現するからこそ芸術が光るのでしょう。
写真もそうです。情景のほんの一部を抜き出し、ちいさなフィルム(決められた枠)にそれを焼き付ける。ときに一枚の紙切れが世界中の人々を魅了します。
まずはゴールを決める。そこから書くことがはじまります。
タイトルで読者を引き込む
ゴールが決まれば、次に必要な段取りは、スタートの決定です。文章のスタートは、タイトルです。タイトルで大切なのは、そこで一気に読者のこころをつかむということです。
文章は読んでもらわないことには始まりません。読んでもらえるかどうかは、タイトルにかかっている、といっても言い過ぎではないでしょう。
タイトルづくりも含めて、文章テクニックなのです。
本書では、タイトルづくりのテクニックとして、渋沢栄一の著作「論語と算盤(そろばん)」を引き合いに出し、このように述べています。
一見、無関係に思える2つの事柄をタイトルに持ってくると、それだけでインパクトがあります。(中略)
・・・普通に考えれば儒教の始祖・孔子の語録である「論語」と、商人の象徴である「算盤」には、ものすごい距離があります。(中略)
・・・2つの距離のあるものがセットになってると、読み手はそれだけで「なんで?」と驚き、惹きつけられます。それ自体がタイトルとして、強いと言える。人の注意を惹くのです。
最初のほうでも書いたように、凡庸なタイトルでは読者は、ビクともしません。読者を驚かせる、仕掛けが必要というわけです。
読者を本文に引っぱり込むチャンスは、タイトルをよむ瞬間にあります。もっと厳しくいえば、そこにしかチャンスはありません。
タイトルにどれだけ気を遣っても、遣いすぎるということはないのです。
一人弁証法のすすめ
弁証法とは、一言で言えば、正・反・合のステップによる論理展開法のことです。
身近な例をひとつ。一昔まえのスマートフォンのが如何にして、現在の姿になったのか?その着想はなんだったのでしょう。
弁証論(正・反・合)でやってみましょう。
正くん:「なんだこのスマートフォンは!外に付いているキーボードが邪魔だ!そのせいでディスプレイは小さくて見難い。しかも使わないボタンもたくさんある。いっそうキーボードを取り外してしまえ!」
反ちゃん:「いやいや、それは無理だよ。キーボードがなければ一体どうやって操作するわけ?まさか、「念力で・・・」とでもいうつもり?」
合先生:「・・・そうだ!ディスプレイの中にキーボードを入れてしまえばいい。ディスプレイ自体にキーボードの役割をもたせるのだ。
普段は全面をディスプレイとして使い、必要なときだけ、キーボードを使えるようにする。
しかもこれならキーボードの配列を自由に変えられる。使うアプリによって最適なカタチに変化させられるではないか。これだ!これだよ!」
ということで、2007年1月、iPhoneが誕生しました。それ以来、キーボード付きのスマートフォンは次々と姿を消し、今日まで店頭に並べられたことはありません。
・・・弁証法的な運動とはこの世界の根源的な原理である、といったヘーゲルの洞察が正しかったということなのかもしれませんが、何よりも、相反するものと揉み合った末に、新しい意見が生まれるという過程は、どうにも人の心を沸き立たせずにはおかないのです。(中略)
この方法を体得すると、文章はいくらでも書けるようになります。
弁証法には力があります。その威力はひとを惹きつけます。世界を巻き込みイノベーションを巻き起こす力も秘めているのです。
使いこなせれば、これだけ頼もしい味方は他にはいないでしょう。
【iPhone】なぜ、気付かないのか?未来のジェスチャーのヒントは、意外にもiPhoneのカタチに隠されているかもしれない
↑ちょっと前に、一人弁証論のスタイルにちかい記事を書いています。(拙文、ご容赦)
さいごに
インターネットやスマートフォンの台頭により、だれでも情報の海に潜れる時代です。膨大な情報のなかで、読者は目を凝らし、目当ての情報を探しだします。
読者は、膨大な情報に触れることで、確実に目が肥えてきています。
「面白い情報(文章)」なのか「つまらない情報(文章)」なのか、「有益」か「無益」かをすぐに見分けるのです。
そして「つまらない文章」と烙印をおされた文章は、情報の海を漂い、やがて海の藻屑と消えていきます。
文章力とは、この世を生きる力である。
本書の最後のページにそう記してあります。
ビジネス、プライベートを問わず、様々な場面で文章力が求められます。文章力という「ものさし」で、人をみられてしまう時代なのです。
ところで、冒頭でわたしは「文章が苦手」だと書きました。それでは、なぜ書くのでしょうか。
・・・その問には、「考えるため」と答えます。
では、なぜ「考えるのか」?・・・
・・・答えは、やはりここに帰着するのでしょう。
文章力とは、この世を生きる力である。
ほいじゃーねー!!
誰も教えてくれない人を動かす文章術 (講談社現代新書) |
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